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システムダイアリー− システムダイアリー誕生物語第2章 −

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  ファイリング・システムとは、大量の情報を合理的に整理するための体系である。日本では書類の保管は、項目別に綴じ込みをつくるのが一般的だが、アメリカではかなり前から各種の方法が研究されていた。
「たとえば、何万人という名簿をつくる場合、日本なら五十音順に並べればなんとか形がつく。ところが、人種の多いアメリカでは、ドイツ系かギリシア系かによってスペリングが違うんだ。君ならどうするかね」
「さあ・・・」
アルファベット順では混乱してしまう。そこで頭文字だけ残し、後の発音を数字であらわすサウンデックスという知恵が生まれたんだ。名簿には生年月日、出身地、学歴、職歴、家庭状況など何百種類もの情報が記録されているとしよう。どうしたら最も速く必要なものが取り出せるか

  ファイリング・システムをABCから教わりながら、奈良は幾何の難問を解くような楽しさを味わった。

  草分け時代というものは、苦労が多いかわりに実りも大きい。彼はたちまちユーザーにファイリングを教える立場になった。システム部長がいったように、コンサルタントの卵として第一歩を踏み出したのである。

  そんあんとき、松本市で“N”という小さな医薬品卸し会社を経営したいる嶋幸太郎という男が会社にやってきた。
「八十万円も出して卓上会計機を買ったが、まったく役に立たん。何とか面倒を見てくれないか」
「会計機を買えばいいというものではありません。ファイリング・システムにしたがって当社の事務機器をお使いになれば・・・」

  売り込みには絶好のチャンスである。彼は松本市へ出張して、三日がかりで“N”の経営状態を調査した。

  従業員三十人の小企業にしては非常に業績がよく、将来の見通しも明るいように思われたが、事務処理は非能率きわまりない。薬効別のパンフレットも保存すべき書類も伝票も雑然と重ねられていて、経営上の貴重な情報が冬眠状態にあるのだ。彼が学んできた方法とは正反対の不合理なやり方だった。
「どうかね、君が見たところは」
「根本からやり直さないことには、会計機の使いようがありません。」
「そうだろう。いま月のうち二日か三日しか動いておらんのだ。それも請求書の集計だけだよ。ソロバンの方がよっぽどましだ」
「システムができれば、見違えるように効果があらわれます」
「では、徹底的にチェックしてくれ」
「かしこまりました」

  夢中になって改善すべき点を拾いあげているうちに三百項目を超えた。予算は三百五十万円に達してしまったのである。
「失敗だったなあ。八十万円で苦情をいっていた社長が承知するはずがない」

  もう少し内輪に見積るべきだったと、奈良は後悔した。

  嶋は計画書を見るなり低い声でうなった。
「ウーム、相当なもんだなあ」
「きみが最良と信じているなら、やってみようじゃないか。一切の購入権限を与えるから、毎月松本へ来て社員を指導してくれたまえ」

  太っ腹な社長のおかげで、奈良は思う存分腕をふるううことができた。ファイリング・システムによる事務改善は、わずか十数年のうちに“N”を従業員五百人の中堅企業に成長察せ他のである。

  医薬業界に“N”・システムという新語が生まれ、各地から経営者が視察にやってくるようになった。奈良にコンサルタントを依頼する業者が急増し、その後彼は約九百社を診断している。

  転職してから足かけ七年め、奈良は日本レミントンランドを退社し、経営コンサルタントとして独立した。サラリーマン時代の経験と勉強がものをいって、仕事は順調に伸びていった。

  昭和四十年代に入ると、事務改善の流れは大きな曲り角にさしかかった。経済の飛躍的な成長によって、小さな企業でも伝票の量は膨大なものになり、必要な情報量もふえる一方で従来の方法では処理しきれなくなったのである。

  そしてコンピュータの時代がやってきた。彼はファイリング・システムを学んだときと同じように情熱を傾けて、コンピュータの知識を吸収した。

  日本でコンピュータが電子計算機と訳されたことは、その初期において計算機能ばかりが注目を集めたことを意味している。コンピュータのもう一つの機能である記憶力と分類能力については、あまり理解されていなかった。本家のアメリカでは、ファイリング・システム延長線上にコンピュータが開発されていったが、日本では、ファイリング・システムを消化しないうちにどっとコンピュータが流れ込んだのである。その差が電子計算機という訳語にあらわれている。

  その点、奈良は幸運だった。当時の日本人に欠けているファイリングについて、十年以上も勉強をつづけてきたのだ。
「チャンス到来だ。自分の能力を最大限に生かそう」

  彼は第一線のコンピュータ技術者二三名を集めて、日本橋馬喰町に「電算システム研究所」を開いた。四十二年のことである。


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