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システムダイアリー誕生物語第1章 システムダイアリー誕生物語第2章
システムダイアリー誕生物語第3章 システムダイアリー誕生物語第4章
世の中には、履歴書の趣味の欄に「手帳」と書くにふさわしい手帳愛好家がいる。奈良總一郎もその一人だった。
彼の場合は、世界各国の珍しい手帳をコレクションしたり、さまざまなデザインを比較して楽しむという手帳マニアではない。日常使っている手帳に満足できなくて、理想の品をさがし歩くタイプの手帳好きだったが、結果は失望の連続だった。
しかし、自分から進んで新しい手帳をつくってみようという気はなかった。まして、それを商品化しようなどとは、夢にも思っていなかったのである。
その奈良が三十六歳になって「システム・ダイアリー」を開発した。完成までに要した期間は約10ヵ月に過ぎないが、誕生以前の十三年間に目を向けなければならない。その歳月に、重要な“根っこ”の部分が隠されているからだ。
奈良總一郎は昭和二十八年に国際基督教大学を卒業すると、外資系のナショナル金銭登録機本社に就職した。
二十八年といえば、日本経済が戦後のどん底から立ち直り、朝鮮戦争の特需によって活気を見せ始めたころである。しかし、まだ中小企業は新型の事務機器を使いこなすところまで成長していない。アメリカではIBMよりはぶりのよかった“ナショ金”も、銀座裏に小さなオフィスを置いて、日本の市場を開拓するための作戦を練るという段階にあった。
企業部に配属された奈良の仕事は、英文資料の翻訳と市場調査だった。ところが、ユーザーの企業へ出かけて行くと、先方は彼の調査に答えるより先に、つぎつぎとむずかしい質問を浴びせてきた。
「わが社の事務改善について、率直なご意見をうかがいたい。現状のままでいいでしょうか?」
「伝票処理の上手な方法を教えてくれませんか。せっかく金銭登録機を買ったのに、宝の持ち腐れになっているんです」
果ては、経営上の秘密にかかわることまで教えを請われて、奈良は面くらった。
「私はまだ学校を出たばかりで、とても口出しできません」
「それはがっかりだな。あなたはそういうことを教えてくれる人かと思ったよ」
会社に帰ってこれを報告すると、上司は耳なれぬ言葉をつぶやいた。
「きみのことをコンサルタントだと思ったのかな」
「なんですか、それは」
「企業の相談相手とでもいうか、医者が健康を指導するように、企業を診察して治療法を考えてやるのがコンサルタントだ。いまやアメリカではもっとも将来性のある職業の一つになっているよ」
「おもしろそうですね」
それ以来、彼はアメリカから送られてくる資料に注意深く目を通して、コンサルタントに関する知識を集めた。
コンサルタントになって成功した人たちの前歴は、エンジニア、会計士、経営学者などいろいろだが、以外なのはIBMやレミントンランドなど、事務機器メーカーのセールス担当者からの転職組みが多いことだった。
「それならオレにも可能性がある」
ひそかに志を立てたが、当時は東京中の本屋をさがしまわっても参考になるような書籍はなかった。
やがてチャンスが訪れた。ビジネスショーで日本レミントンランドのシステム部長にめぐり会ったのである。
奈良がコンサルタントになるにはどうしたらいいかと聞くと、部長は即座にいった。
「うちで働かないか。いい勉強になる。ただし部員は二人しかいないがね」
もと連合軍総司令官のマッカーサーを会長に迎えて、世界的な事務機器メーカーになったレミントンランドも、日本の市場にはてをつけたばかりだった。
「ファイリング・システムを日本人に紹介しながら製品を売る仕事だ。きみにはうってつけの職場だと思うよ」
「どうしてですか?」
「これを知らなければ、コンサルタントにはなれないもの」
「ファイリングといいますと・・・」
首をかしげると、部長は肩をすくめた。
「アメリカでは高校生だって知っている。ファイリング・システムをマスターしない男は、市役所だろうが軍隊だろうがつかいものにならないんだ」
「はあ・・・」
「高校生のための教科書をつくったのは、わがレミントンランドの女性部長だよ」
それを聞いて、奈良は転職を決意した。日本レミントンランドに入社すれば、コンサルタントへの道が開けるに違いないと思ったからである。
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