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理論的根拠

「パソコン普及のガン」となっている現行のキーボードの奇妙な文字配列は、いつどうしてできたのか?
―その経緯と簡便確実な改良法
意外な事実1  日本のパソコン普及は先進国中18位 意外な事実2  パソコン/ワープロ普及の遅れた5大原因
意外な事実3  なぜワープロは日本人の必需品か 意外な事実4  今のキー配列は誰がいつ、つくったか?
意外な事実5  デタラメに改悪されてしまった山下案 意外な事実6  新JISはこうして失敗した
意外な事実7  キーボードの改良案はなぜ普及しなかったか 意外な事実8  英文タイプの文字列も実はいいかげんだった
意外な事実9  日本語の特性―単語音節の2割は拗音 意外な事実10  開発者さえ驚いた「ナラコード」の成果

意外な事実  4

今のキー配列は誰がいつ、つくったか?最初は50音で合理的なものだった

  不思議なことに、現在の旧JISキーボードは、誰が、いつ、どうして作ったのかだれも語り継いでくれた人がいませんでした。カナの頻度の高いものを中央に置いたのだろうというあやふやな説明か、とにかくこれが一番良いのだから文句を言わずに使え、という不条理な押し付けがまかり通っていました。

  この疑問を徹底的に調べてみたところ、実は現在の旧JISキー配列は、最初は山下芳太郎という外交官によって合理的に設計されたものが、氏の没後、後の人によって勝手にデタラメな配列に改悪されてしまい、それがそのまま旧JISコードとなり、新JISコードが普及に失敗したために、そのまま現行キーボードの基準となってしまったということが分かりました。

  国会図書館からカナモジカイと諸方を調べた結果、日本に一冊しか残っていないという本に行き当たりました。大正8年発行の山下芳太郎著「国字改良論」です。

山下氏は、明治4年愛媛県出身、東京高等商業(現一橋大学)を出て外交官となり、後に西園寺内閣の首席秘書官、その後住友本社の理事を勤め、今日の住友商事の実質上の創業者といわれた人ですから非常に優秀な人だと伺えます。

  氏は、国際会議へ出るたびに、終了後キチンとタイプされた議事録がすぐ出てくることに感銘し、日本の国字問題を何とかしなければ国際社会では太刀打ちできないと痛感しました。いろいろ研究した結果、氏は英文タイプの活字をカナ文字に変えれば英文タイプ並みに高速入力ができると核心しカナモジ運動を提唱したのです。

  当時42個しかキーのなかった英文タイプライターの上で50音とその濁音、半濁音、数字、記号などを入れるために氏は非常に苦心しました。アンダーウッド社のスティックネー技師長のアドバイスにより、覚えやすい50音配列を基準にモジを配列しましたが(第1図)最大の工夫は、右手の小指で濁点、半濁点を打つち、この時はタイプライターのプラテンが1字分動かないよう工夫したことです。

山下氏設計のキー配列
第1図  山下氏設計のキー配列

  大正11年、山下氏はヨーロッパの国際会議出席ののちアメリカのアンダーウッド社を訪ね初のカナタイプを発注しましたが、その場で倒れてしまいました。船便でようやく帰国して、病院で開腹手術をしたところ、胃ガンが全身に転移して手のつけようがなかったそうです。

  氏は、正に明治のサムライでありました。鏡で自分の胃の中を見せてもらい泰然自若としていたそうです。氏のカナモジの遺書は次の通りです。

  「ワタクシ  ワ  イマ  カミ  ニ  ヨビモドサレテ  カエル  コト  ト  ナッタ  ニ  ツイテ、イヒ  ノコシ  タイ  コトガ  アル.ワガ  クニ  ノ  ブンカ  ノ  ハッタツ  ノ  タメニワ  ワガ  コクジ  ノ  カイリョー  ホド、イマ  ノ  バヤイ(ソノママ)、キュー  ヲ  ヨー  スル  モノワ  ナイ.コッカ  ノ  ショーライ  ヲ  ウレイル  ヒト  ワ  コノ  モンダイ  ノ  カイケツ  ニ  デキル  ダケ  ノ  チカラ  ヲ  ツクサレ  タイ.ワタシ  ノ  コノサイ  イヒ  ノコシテ  オキタイ  イチゴン  ワ  タダ  コレ  ノミ  デ  アル.
ヤマシタ  ヨシタロー」

  山下氏は、大正11年4月に亡くなりました。その8月に横浜港に入港したカナタイプは、関東大震災により、倉庫とともに焼失してしまいました。

  しかし、氏の住友本社理事時代その主張に共鳴した応援者がいました。森下仁丹の森下博社長、山下汽船の山下亀三郎社長、伊藤忠商事の伊東忠兵衛社長、等々です。

  第2陣として神戸港に入ったカナタイプは、伊藤忠商事で全面的に採用され、日本のOA運動のはしりとなりました。

  その後、カナモジ運動はさまざまな紆余曲折をえて、わが国の社会の進化に多くの影響を与えました。

  山下氏の墓は、鶴見の総持寺に、「ヤマシタ  ヨシタロー、チヨ」と記されてあります。氏こそ、日本のOA運動の大先駆者、大恩人でありましょう。


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